「悔しい!」が、これからの財産
免許があればいつでもできる、だから。
高校卒業後に警備会社に就職しました。同僚は親世代の人達ばかりで、毎日のように『この仕事はこの歳でやることなのか?』と自問自答していました。そんな時、駅前にあったガラス張りの美容室が目に留まりました。お客さんと笑顔で楽しそう話しながらに髪を切る美容師。とても眩しく見えましたね。僕もこんな華やかな仕事がしたいなぁと憧れて、専門学校に通い始めました。
専門学校での学生生活はとても楽しく、成績も上々。学級委員のようなこともしていました。ただ、専門学校卒業後は美容室で働かなかったんですよ(笑)。当時、学業と並行して音楽活動に熱中していました。周囲からは「プロを目指した方がいいよ!」と勧められていたのです。どちらに進むかはかなり悩みましたね。それでも、免許さえあれば美容師はいつでもできると思い音楽の道へ。今振り返れば、若気の至りとでもいうのでしょうか。。。でも、当時は本気でした。
その後、音楽活動が一区切りつき、飲食店で働き始めることにしました。美容師に戻ろうかと思いましたが、20歳前後の人が同期になることがどうしても厳しいと感じて、美容師には戻りませんでした。
母親の一言で、もう一度美容師へ
コロナ禍で、飲食店で生計を立てられなくなり、実家の兵庫県に戻りました。「これからどんな仕事をしていこう?」今後を考えたとき、あの時美容師をしていたらどうなっていただろう。そんなことを考えることもしばしば。QBハウスのことを知ったのはそんな時でした。会社の取り組みを特集するテレビ番組を見た母親がQBハウスで働いてみたらと勧めてくれました。QBハウスであれば同じような境遇の人が沢山スタイリストを目指しているらしいと教えてくれたのです。カットが出来るようになるまでは徹底的に技術を教えてもらえてお給料ももらえる。『そんな都合の良い話ある?』と半信半疑でしたが、調べてみてビックリしました。
同期より少し遅れて8ヶ月目でスタイリストデビューすることになりました。正直、初めはカット専門店だから、技術も大したことないだろう。6ケ月もかからないでデビューできるだろうと思っていたんです。しかし、実際はカリキュラムの一つ一つにそれぞれ試験があって、評価基準もきっちりとしていました。「カット専門店だから、、、」と甘くみていたこともあって、何度も試験に落ちました。悔しい思いもしましたし、時には涙を流す日もありました。そうした厳しさや悔しさを感じられたからこそ、技術を高める事への楽しさやお客様に対する責任感も自然と湧いてきたのだと思います。トレーナーもとても親身になって相談に乗ってくれました。また、自分自身に合わせた教え方や練習方法を日々考えてくれるので、とても励みになりましたね。
いつかは『仲間を支える人』に
これからスタイリストデビューしますが、まずは一人ひとりのお客様に喜んでいただけるよう技術をしっかり伸ばしていきたいです。店舗での勤務となると1日30人~40人くらいのお客様に入客することができます。
これまで遠回りをした分、しっかりと経験を積んで、将来はトレーナーになることが目標です。入社して、ロジスカットスクールでトレーナーの方々と接しているうちに『誰かを支える仕事』って素敵だなと思ったんですよね。
自分もトレーナーの方々に可能性を見出してもらい、今充実した日々を送れているのでいつかは自分も『誰かの可能性を見出してあげられる存在』になりたいです。